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2006-01-03 01:30  <作家の肖像>
最近、必要に駆られて過去の自分の設計作品を見直している。また、直に他人の作品の発表を聞く機会もあった。
その中で、作家性について考えるようになった。

アートとデザイン、芸術と文化。これらを創造するのが作家である。
アートは、自己完結型の創造だ。アーティストは、己のメッセージを作品を通じて社会に訴えかける。作品に対峙する人は、それを受容することしかできない。
デザインは、社会のニーズと同居する。デザイナーの真価は、ニーズを斬新で美的な商品に転換し、それを社会に還元していくところにあると思う。
作家と他者との対等な相関があるか否かに、アートとデザインの差異はある。
その差異はまた、芸術と文化の相違に近似する。芸術は高尚なものであり、一般の者はその審美に触れることによって豊かさを享受する。
それに対し、文化は人間の営みの中で固有のアイデンティティが形成されたものだ。そこでは、多くの人間が作家となる。
芸術と文化の差異は、それに接する人々が創造の傍観者となるか当事者となるかの違いにある。

アートとデザイン、芸術と文化。いずれの場合も、作家と他者(社会)との相関、作家という主体のありかの相違はあれども、
形而上を創造する点においては共通している。作家は、形而上を創造しなければならない。否、創造するものである。
では、作家性とは一体何なのであろうか?作家性とは、作家の独自性である。ということもできるが、それは正確ではない。
なぜなら、いずれの作家も他の作家の作品(他のモノ)を下敷きにして自身の作品を構築しているから。完全なるオリジナリティなど存在しない。
しかし、作家としての個性を、言い換えるならばアイデンティティを作品に表出することは可能だ。
作風を容易に言葉にできず、既に知られていない何かを作品から見出せれば、その作家はアイデンティティを獲得しているといえよう。
容易に言葉にできないような作家のアイデンティティが、作家性である。

その意味で、デザインと文化は作家性を要しない。また、アートと芸術は、作家性が色濃く表れる。
では、建築はどうだろうか?建築に、作家性が必要なのだろうか?
承知かどうかは知らないが、建築は純粋芸術ではない。建築では、彫刻やアート作品と違って実際にそこに人が入り、生活を行う。
また、文学や音楽と違って、現実のものとして形になる。さらに時代によっては、宗教や国家のシンボルとしての役割を担う。
つまり建築は、技術、文化、社会、ユーザーといったあらゆる事柄のニーズに応答しなければならない統合芸術であるといえる。
建築家は、アーティストである以前に、デザイナーでなければならないのだ。建築に作家性は不可欠な要素ではない。

しかし、作家性なき建築家が、歴史に名を残すことは稀である。ミースもコルビュジエも社会的要請と巧く結合したデザイナーであったが、
と同時に作家としてのアイデンティティを獲得し、それによって形而上を体現できた建築家だった。
建築を評価する時に、優劣の差異が生まれるのは作家性の有無にもある。社会的要請に応答しているだけでは、一介の設計者にすぎない。

と、正月早々、自分なりの建築作品の評価軸を稚拙ながら脈絡も無く考えてみた。ここまで読んで付き合ってくれた方、ありがとうございます。
そして、新年明けましておめでとうございます。
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by note_R | 2006-01-03 01:30