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2006-12-11 16:38  <一般的>
人は、それぞれ育ってきた環境が違うし、性格も違うし、感じていることも違うし、
置かれている状況、置いている状況も違うし、求めているものも違うと感じております。
そして、人にはそれぞれの価値観と世界観があるとも考えます。

やっぱり、他人(個人)を完全に理解するということは、
とても難しいことなんだと思います。
だから個人と個人は、時に誤解を生み出すのでしょう。

個人と個人とが理解しあうためには、
一般化した範囲の中で共通理解を見出すということが、必要なんだなと感じます。

でも、それは、とても難しいことですね。
元来、価値観やら世界観なんてものは個人によるもので、簡単に一般化できないものだから。
個人間の価値観・世界観の相互の共通理解は、
同じ価値観・世界観を持つ者同士でしか得ることができないものなんですね。
でも、同じ価値観・世界観といっても結局それは人によって微妙に違うから、
そこで真に理解しあえるのは極々少数か、いないかのどちらか。

一般的に思考するということは、とても難しいものなんですね。
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by note_R | 2006-12-11 16:38
2006-12-06 04:02  <無意識の意識化>
「無意識を意識化する」
これは、かつての自分にとっても、今の自分にとっても非常に難しい問題です。
僕の弱点は、「無意識」を「意識的」に表現する術を知らなかったことです。

「無意識」を「意識的」に表現するには、「言葉」が必要です。

ある「特殊な分野」では、言葉ではなく作品、あるいは、
プレーでそれを表現することも可能ですが、「建築」という分野ではそうもいきません。
なぜならば、建築はどうあがいても「人」を相手にするものだからです。
その「人」は、決していつも「建築家」であるわけではなく、
建築という専門的分野を知らない「一般人」が通常は対象となります。

つまり、「理解のできる言葉」が必要なのです。

しかし、単に「理解のできる言葉」を並べるだけでは人の心を動かすことはできません。
「理解のできる言葉」が力を持つためには、「説得力のある論理」が必要です。

しかし、ここで難しいのは、建築の設計という行為には、
「論理で割り切れる部分」と「論理で割り切れない部分」という、
一致しない両者が互いに共存しているということです。
「論理で割り切れない部分」のよさを説明するためにはどうすればいいのか?
その答えは、「論理で割り切れる部分のよさ」をアピールすることでカバーするしかない、
ということです。(と、僕自身は思っています)

つまり、「論理で割り切れる部分のよさ」を知ることが重要なのです。
その「論理で割り切れる部分のよさ」の知識量の少なさが、
僕の最大の弱点であり、課題でもあります。
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by note_R | 2006-12-06 04:02
2006-12-06 00:22  <英霊>
今夜は、たまたま通りかかって靖国神社で参拝しました。

研究室当番の後、なんとなく御茶ノ水から歩き始め、
この近くには何があるのだろう?
と、飯田橋駅にて地図の掲示板を覗いたらそこには靖国神社と千鳥が淵の文字が。
ということで、寄ってみました。

靖国神社では、入り口の荘厳な第一鳥居に圧倒され、
そして、第二鳥居を抜けた後に辿りついた神門の佇まいに感化され、
神門にて思わずお賽銭箱にお賽銭を入れ、合掌してしまいました。

時代の犠牲になった戦没者の方々がいたからこそ、
今という時代の礎が築かれたと思います。
そのような方々に対する弔いの気持ちを込めて、合掌しました。

僕等は、あまりにも恵まれている。と、認識しました。
そして、歴史の重要性を改めて認識しました。
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by note_R | 2006-12-06 00:22