「優れた芸術家は、雨が降り注ぐ人生を歩む人々に、新しい人生の見方という雨合羽のようなものを与える。
それに反し一介の芸術家は、感覚的な表現や抒情詩という往来の提灯を与える。」 芥川龍之介の言葉だ。この言葉は、傑出した芸術作品の持つ価値の迫真を突いている。 高慢なレトリック(修辞法=美辞麗句)ではなく、新鮮な価値観を人々に提示するということ。 建築、いや、芸術の社会的意義は、まさに雨合羽に集約されるのだ。 #
by note_R
| 2005-11-13 01:30
我が国の金融市場では、以前までは情というものが入り込める隙間があった。
元来、銀行の企業への融資は、企業の成長可能性を長期的に展望して行われていた。 バブル成長期における企業への多額の融資も、土地神話という長期信用があったから。 バブルがはじけて不良債権が生じても、銀行はその姿勢を崩さなかった。 企業から強制的に不良債権を取り立てず、その企業の経営の再建を待ったのだ。 なぜなら、不良債権を徴収すると企業は倒産し、路頭に迷う社員とその家族が生じることが明白だったから。 リスクを回避するために、本来なら即取り立てなければならなかったのに、情が銀行を躊躇させた。 同じような経験をしたアメリカが、不良債権は即刻徴収しなければ金融システムの破綻を招く、と警鐘を発していたのにもかかわらず。 結果、不良債権は多大に膨れ上がり、日本の金融システム全体は瓦解する。情が、金融システムを破綻させた。 資本社会で生き残るためには、企業は利益を生み出さねばならない。 社員とその家族の生活を保障するため、そして株主に利益を還元するため。 当然、そこでは便益追求、合理主義、効率化、サービス向上が常套手段となる。 情ではなく、理性のみが生き残るために必要とされるのだ。残酷な理性の世界。それが、資本社会。 強きものが恩恵をこうむり、弱きものは挫かれる。冷徹な弱肉強食の世界。それが、資本社会だ。 資本社会がつくりあげた情なき都市の中で、僕らは一体何に価値を見出せばいいのだろうか。 終わりなき資本主義のスパイラル。その中で、僕らは生きていかなければならない。 #
by note_R
| 2005-11-03 19:25
自分の実力に不安を感じて相談を持ちかけた際に、教授が僕に強く言い放った言葉。
「そうなるしかないんだ。(努力以外に道はない)」 そう、そうなんだよね。理想に到達するためには、迷っている暇なんてないんだわ。 やるべきことをやるしかない。強いメンタリティーとモチベーションと実行。それ以外に道はない。 #
by note_R
| 2005-10-29 18:43
人間の根本的な素質に「知情意」があるからこそ、人の世は住みにくい。
主張というものは、もともと感情的な情動により発生する。しかし、情動だけでは人を説得させることはできない。 情緒(情動)的な発言は、公式的な場においてはしばしば度外視される。 なぜなら、それが理性が欠落していると同時に、客観性に乏しい空虚な論理によっているからだ。 もし、自らの主張を受諾させたいと思うならば、明確な論拠を示さねばならない。 でなければ、たとえそれが正しくとも、純粋な思いはいずこにか葬り去られてしまう。 「知情意」のうちの「知と意」、つまり「理性」がそこでは必要になるのだ。 しかし、人間は理性だけで生きていくことはできない。人間誰しも「情」という素質を持っている。 「情」という素質は、それが衝動的な側面を秘めているが故に、甘美であると同時に剣呑(危険や不安な感じがするありさま)だ。 愛情、人情、慕情、温情、旅情・・・どれも甘く切ない響きを持つ。とても美しい言葉たちだ。 捉えどころのないフワフワした状態であり、なおかつ温い感傷によって突き動かされている。これらの言葉から汲みされるのは、そのような甘美な状態。 そのような甘美な観念が生まれるのは、情というものに不安定な衝動があるからだ。 それとは裏腹に、その不安定さは逆に危険な状況をも生み出す。夏目漱石の「情に棹させば流される」という名言が指し示すのは、まさにそのことだ。 情は、悪に対抗するという正義感さえをも反故にする。情は、プロフェッショナルという責任感さえをも反故にする。 情は、倫理観や道徳観をも反故にする。つまり、情は理性を反故にしてしまう危険を常に孕んでいるのだ。 情なき人間は幸せを手にすることはできない。愛という情動を持ち得ないから。愛を知る人間は幸福だ。 しかし、情は理性を反故にしてしまう危険性を常に孕んでいる。 理性(知と意)と情。兎角に人の世は住みにくい・・・ #
by note_R
| 2005-10-22 18:45
「 純潔さこそが、最大のエロスである。 」
ある高名な文学者の言葉だ。まさに、真理をついている言葉だと思う。 しかし、この言葉の意味を理解できるということは、その人が純潔さを失ってしまっているということ。 純潔さを忘れずに生きていくことはできるけど、純潔な心のまま大人になるって不可能だよね? だって、純潔な大人なんていないんだから。 ピーターパンにおいて描かれたネバーランドに含蓄されるのは、 失われた理想を子供時代の純潔さにみる大人たちの、悲しい追憶だったりして。 ※ ピーターパンにおけるネバーランド・・・子供たちが決して年をとらない世界だってよ。 #
by note_R
| 2005-10-13 21:02
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>>抒情 日常の中で埋もれてしまうような些事を,心のおもむくまま綴っていく. ≫ profile ..................... name;Ryo Satoh(R) -My specialty field is Architecture. sex ;male blood type ;B horoscope ;Leo birth day;1981/8/5 ≫ Links ≫ 古巣・高円寺の友人 太田徹のブログⅡ 日々の記録 ≫ 高校時代の友人 HamaQ's HP ≫ 大学の先輩や友人 Studio Malco akdblog today's .. e-sense Mura Mura Mood S & S nice arrange shocos tzib ≫ 募金 義援金募集 ユニセフ募金 寺小屋運動への募金 インターネット募金 世界遺産募金 赤い羽根共同募金 ほっとけない 最新のトラックバック
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